ジュエリーが輝く瞬間を担う仕事

髙橋
慎吾

SHINGO TAKAHASHI

ジュエリーの多彩な表情を決定付ける重要な仕事、
宝石が留まったその瞬間からジュエリーは輝き始める

職人だった父親

物心ついた頃には、父は家で仕事をしていました。ジュエリーの細工職人として若くして独立した父親は、「いつも自宅にいる厳しい父」という記憶しかありません。カメラ好きだった父は鹿児島から上京してミキモト装身具に就職、同郷の母とは社内恋愛の末に結婚しました。父は会社で10数年働いたのちに細工職人として独立し、母は5年ほど勤めて寿退社したと聞いています。父は個人事業主として昼も夜も関係なく自宅で仕事していましたので、自分はそんな父親の姿を見て育ちました。もちろん父がどのような仕事をしているのか知りませんでしたが、自分の腕一本で勝負している職人であることは、子供ながらに理解していました。
高校卒業後は、ジュエリーの専門学校へ進学しました。なぜジュエリーだったのかといえば、やはり父親の存在が大きかったと思います。将来を考えたとき、つまりこれから働いていくことを真剣に考えたときに、自分の中にあったのは職人である父の姿でした。憧れていたとか格好いいだとか、そのようなものではなくて、自宅で父が寡黙に仕事をしている姿しか知らない自分にとっては、他の職業が考えられなかったのかもしれません。ご縁をいただいて、社会人としてのスタートを、両親が若い時代をともに過ごした会社で歩むこととなりました。
入社時は父のことを知っている方ばかりで、先輩たちからよく声をかけてもらいました。しかしその一方で、二世というプレッシャーを感じながら、ジュエリー制作の技術を必死に学んでいきました。もし自分が不甲斐ない奴だと思われたら、それこそ父親の顔に泥を塗りかねない、そんな思いを抱きながらの新人時代でした。

ジュエリーの多彩な表情を決定付ける重要な仕事

現在は、ハイジュエリーと呼ばれる逸品高額商品に関わる「石定」を担当しています。ダイアモンド、ルビー、サファイア、エメラルド、といった宝石素材を、細工された地金に美しくセッティングしていく仕事が石定めの工程です。扱う宝石素材そのものが高額なうえに希少価値の高いものが多く、常に慎重な作業が求められます。その一方で、直径1~2mmの極小ダイアモンドを数百ピースも敷き詰めて留めていくようなこともあります。石定は、今の時代にあっても機械でできるようなものではありません。手仕事が基本となりますので、このようなときは何日もの時間をかけながら作業していきます。
MIKIMOTOジュエリーの石定は、古くから受け継がれてきた伝統の留め方があります。特に脇石メレダイアは、小さな場面のわずかな地金を掘り残して整形しながら、光を取り入れるための空間を設けて留めていきます。宝石をより輝かせるために欠かすことのできない技法なので、非常に手間がかかります。手間はかかるのですが、その留め方をすると宝石が圧倒的に輝いて見えるのです。
ジュエリーは手のひらに収まるほど小さなものですが、しかしその小さな世界には先人たちが苦労して生み出してきた伝統の技術が凝縮されています。これほどのこだわりと惜しみない技術が注ぎ込まれているからこそ、MIKIMOTOジュエリーは他を凌ぐのだと思います。

質の高い仕事をするために

石定の仕事をしていく上で大切なことは、技術向上はもちろんですが、自分にあった道具を持つこと、道具の手入れを怠らないこと、これに尽きるのではないかと思います。
様々な商品を手がけていく中で、自らの手指の形や癖に合わせて使いやすい角度を探し、自分だけの道具を作っていきます。自分に適した道具を作れるようにならなければ、それなりのことは出来ても、やはり質の高い仕事をすることは絶対に出来ません。
最高級のジュエリーを作り上げるために、自分が思い描いたとおりに自在に操れる形状の道具を自らで作らなければいけないのがクラフトマンの世界でもあります。先輩の仕事の出来栄えや扱っている道具を参考にしながら、時間をかけて自分で考えて作っていくのです。自分の手指や癖に合った道具は、結局は自分にしかわかりません。これを感覚として掴むまでは、とことん道具づくりにこだわります。この良し悪しが完成度や作業スピードに大きく影響を与えますので、道具作りだけでなく道具を手入れする時間も、質の高い仕事をするためには欠かせない時間です。

ジュエリーをやるなら、日本で一番の会社へ行きなさい

ジュエリーを仕事として生きていく覚悟を持ったときに、ミキモト装身具への道を敷いてくれたのは父でした。これほどの環境で仕事をさせてもらえることも、多くの先輩から技術を学ばせていただいたことも、その全ては父という存在があったからです。父が誠実に仕事をしてきたからこそ、(当時の社長は)自分を迎え入れて下さったのだと思います。父親は細工、自分は石定めの仕事ですが、世界に通用する本物のジュエリーづくりを目指していることに違いはありません。
ある日、父が晩酌しながら「息子と同じ仕事の話ができるのは嬉しい」と言っていたと母から聞きました。クラフトマンとして精進していることが、きっと自分にとっての親孝行でもあるのだなと思います。父をはじめとする歴代のクラフトマンに恥じぬよう、これからも質の高い仕事を目指して、日々努力していきたいです。

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